バチェラー・ジャパンシーズン3を見た
バチェラーシリーズは面白くて毎度見ていて、今日シーズン3を見終わったので感じたことをメモっておく。
※こっからネタバレあり
序盤〜中盤までの感想
バチェラー友永さんへの印象はとても良かった。
番組的に残しておいたほうが面白い人も容赦なく1話目で落とすし、「ぶっちゃけ」「正直」といったワードも多いことから、飾らない正直な態度が誠実さにも繋がって見えた。
こちらのコラムで、
友永の真剣さからは、結婚への熱意が伝わってくる。今作、最後に残った女性とバチェラーが結婚する可能性は過去作よりも高い。僕はそう観ている。
と感想が書かれているが、自分も似たような感想を持っていた。
というわけで、今回こそは!という期待は高かった。
終盤〜最後の感想
終盤になってもバチェラーの「正直さ」はずっと高いままだったが、その「正直さ」がだんだんと自分中心に感じられた。
「正直」だからバチェラーを誠実だと思っていたのに、後半は「正直さ」はそのままで、誠実さを感じなくなくなってきた。
この自分の捉え方の変化から、正直=誠実ではないんだなということが分かった。
つまり雑な4象限で図を書いてみると、中盤までは右上の「誠実ゾーン」にいることが多く見られたけれど、徐々に利己的な感情が目立つようになってきて(家族との対話のシーンが印象的)、実は左上のわがままゾーンにいることも多いんじゃないかと思えてきた。
まあこれは、最後の結末を知ってしまったがゆえの自分の後付け感情の可能性も高いけれど。
ただ、MCのさっしーや今田耕司、落とされた女性たちなど、最終エピソードを見終わった人の大半がネガティブな感想を持っていることから、総じて「社会的に良くない行動」で幕を閉めてしまったことは確かだと思う。
これは進化心理学の研究テーマでも似たようなことが論じられていて、以下のようなツイート内容を次々と思い出した。
J.ヘンリック:“ 小規模社会では、多くの共同体の例に漏れず、規範を犯した者にはさまざまな制裁が待ち受けている。まず、陰ロを叩かれたり、悪い噂を流されたりといったことから始まる。クラのときのように、特定の親類から笑いものにされることが多い。” pic.twitter.com/ILfZFL3CsC
— ORE(エボサイ) (@selfcomestomine) October 9, 2019
J.ヘンリック:“人類進化の歴史を通してずっと、規範を犯す者には制裁が加えられ、規範を守る者には報酬が与えられてきたことで、人類の自己家畜化(self-domestication)が進み、ヒトに規範心理が植えつけられたのである。この心理はいくつかの要素から成り立っている。” pic.twitter.com/gsacAS7UhQ
— ORE(エボサイ) (@selfcomestomine) October 9, 2019
今回の結末は、バチェラーという番組のルールだけは守ったものの、その後に一般常識的な男女ルールを破ってしまったので、これを観た人たちは否定的な反応を起こしてしまったんだと思う(自分もそうだ)。
ズルい奴をすぐさま見つけ出して、制裁を加えようと思う、あるいは「あいつズルをしてるよ!」とみんなに向かって訴えて処分してもらう、こういう社会的な淘汰圧のなかで人間という動物はこころを進化させてきたわけですからね… https://t.co/XXhJjdytVt
— ORE(エボサイ) (@selfcomestomine) October 16, 2019
だからと言って、「みんなが叩いてるから叩いていい」的な近年のネットでよく見られる炎上や批判は怖いので、そこに自分も乗っかっていかないように気をつけたいと思った。
(まあ人間だから、状況によって社会規範守れない時もあるよね)
よく分からないこと、気になったこと
過去シーズンも含めると、好き好きオーラを出してくる献身的な女性より、まだ好きかどうか分からないミステリアスな女性の方が男性の心を掴みやすい傾向にある。
あと、家族に反対された人ほど選ばれやすい傾向もある。
これは心理学的な側面でなんか理由が説明できるんかな?
気になったので、今後調べたいと思った。
まとめ
見終わった後に自分も感想をつぶやいたり、Twitterで検索して他の人の感想を見ずにはいられなかった。
ただ、こうやって感情が揺さぶられて同じ番組を観た人の共感を得たくなるというものは、とても面白いコンテンツなんだなと思う。
今回の結果を見るにガチな番組だと思って良さそうなので、「人間が特定環境においてどのような振る舞いをするのか?」という実験的な側面もあって自分は楽しんで観てるのかもしれない。
シーズン4も楽しみです。